晴れ渡る空、朝日の輝き
9月4日(土)晴れ
晴れ渡る空、朝日の輝き、小屋開けの時の日の出は飯綱山の右手に出ていました。
今はより南に移り、菅平の上あたりでしょうか。初夏4時台だった時刻も大幅に遅れ、5時40分を過ぎています。下界の気温は30度を遥かに超えているとか。
人々は暑さにうんざりし、熱中症により倒れる人も多いとか、しかし、農業に育った私の毎年心配になる”稲作”にとっては、こんな幸せなことはないのではないか・・・と思うのです。
何と言っても日本は「稲が豊作」でないと国民は豊かになれないのですものね。
きっと我が実家も稲が豊作で喜んでいることでしょう!
安曇野に住む”おさんぽ隊長”さんも今朝は6時過ぎに到着しました。
数々の注文品と差し入れを山のように担いで七倉尾根を3時間弱で登ってくる40代になったばかりの若者です。ペンパさんによればお父さんは昔のカモシカ、今はフッチーさんが下山の年寄りカモシカ、何と行っても超速カモシカはおさんぽ隊長だ!とサーダー折紙付きのカモシカ若者ということになりますね。
この週末、ひかるちゃんが休みとなっているのでヘルプに今チャンを頼んでありました。
お昼前「お母さんただいまー」といって元気のいい声と一緒にマリさんとともに現れました。
「二人一緒だったの?よかったー」とお茶でお迎えです。
まだ南極焼けが抜けきらないマリさん。仙台の病院から駆けつけてくれました。
土曜日の週末なのに今日はお客様少なく、10数名です。
「天気もいいし、気持よくスタッフも一緒で外テーブルで夕食」ということになりました。カンカン照りだった空もゆったりと爽やかな空となり、そよ風も吹いています。
外テーブルで全員が夕食となるのは本当に久しぶりです。お客様も大満足して下さり、持ち合わせの飲み物とビールで乾杯しながらの夕食となりました。
お父さんとおさんぽ隊長、塩兄ちゃんは一輪車で土砂を運び、ヘリポート作りに余年がありません。
「そろそろ止めにしてもらわないとゆっくり夕食もしてられないネ」と伝え、きっぱり作業を打ち切ってもらいました。お陰さまでヘリポート作りも作業が大分進みました。
次のヘリ荷上げの際にパイロットさんに「OK」をもらえれば、来シーズンは使用可能となります。
PM5時前から始まった夕食は全員でゆっくり楽しく食事をすることが出来ました。「おいしいね、ウマイね」とごはんや味噌汁のお替りがあり、一時間後に終了することが出来ました。
日の出の場所と一緒で夕日の入る市も大分南に傾いてきました。初夏にはザラ峠辺りに入っていましたが今は五色ヶ原より更に南、越中沢峠辺りに沈んでいきます。
「夕日の色は浄土の彩です」とおっしゃた仏師の人の言葉を思い出しながら何時迄も美しい夕空に見入ったのでした。一番星(金星)も大分山際に近づいて輝きはじめました。
片付けの終わる頃、ペンパさんのネパールティを頂く為と今日はマリさんのフルート演奏が聴かせて頂くのを楽しみに全員が炉端に集合したのでした。
そして、コンちゃんの司会により、炉端演奏会とお茶会は消燈ギリギリまで続きました。外は初秋の澄み切った夜に、小屋の真上を”天の川”が横たわり、一番星は眩しいほどに輝き、その他の星はあまりあまりの多さに見分けがつかないほどです。
それでも博学の人も居られ、「あれは何何だ!」と言って周りの人々を喜ばせています。外も内も楽しげな語らいが続いていますが「長丁場のかたも居りますので、消灯後は静かにしてください」と言って私は”眠剤”を飲んで深い眠りについたのです。
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