2011年5月11日
この度の東日本大震災により、被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。皆様の安全と被災地の一日も早い復旧を日々お祈り申し上げております。
あの日から2ヶ月が過ぎようとしております。この間、私は一体何をしていたというのでしょう。
テレビから流れてくる衝撃的な映像にただ驚き呆然とするばかりでした。
被災地は東北、関東の太平洋側、被災された方々の中に、船窪小屋のお客様が居られる筈!急いで宿泊者名簿を確認しました。
大勢の方々が居られました。まず、仙台に昨年から赴任された”まり”さんに電話を入れましたが 、通じません。そして、どなたにも通じることは出来ませんでした。
「電話しても通じないよーお父さん!」
「それじゃ行ってみるか?行ったところで俺とお前じゃどうすることも出来ねえなあ」
次の日まりさんからメールが届き無事であることが確認されました。そして、特に心配していた2,3の人々からも無事!との知らせを受けました。
しかしテレビから流れた映像は更に衝撃的な原発の被災を報じました。私共の元で学生時代から暮らし(アルバイトとして)て居たT君は3年前ペンション経営を諦め福島にある東京電力の寮へ管理人として奥さんと共に移り住んだばかりでした。
その二人の安否が気がかりでした。数日後、彼の無事も確認され、T君は親しい家族と共に小谷村に帰ってきてくれたのです。
3月11日は未だ雪の舞う寒い日でしたね。あの時被災された皆様、東北地方は白馬山麓と余り変わらない気候なのではないか、ほんとうに大変な思いをされましたね。
「津波」というものがあれほどに恐ろしいものなのか・・・改めて知らされました。
3月は連休が幾日もあり、子どもの春休みとも重なるので、私共宿泊施設にとってはシーズン最後の稼ぎどきでもありますが、この大災害でキャンセル続出!ベルグハウスも途方にくれてしまいました。
この大地震と大津波を受け、被災されました多くの皆様、私達は現地に行き何がしかの手伝いをしたい!という気持ちはいっぱいありながら、それを行動に移すすべがなく、唯月日は過ぎていってしまいます。
買い物の度に義援金箱の中へ何がしかのお金をいれさせてもらい、日赤奉仕会の募る募金には協力させていただきつつも、自分の無力さをつくづくと感じているこの頃です。
長野県の北の端に位置する、北信地方の栄村でも翌日3月12日に震度6強の自信に見舞われ甚大に被害を受けました。雪消えと共に被害は更に拡大しているようです。私共個人には何もできませんが、一日も早く復興して欲しいと心から願っています。
幸い白馬山麓小谷村には何もなく、新しい茅葺きの春が訪れて参りました。
ゴールデンウィーク前に3000m級山岳地帯に降った新雪での雪崩事故が多かったことをほんとうに残念に思っております。
チャンメロ(蕗のとう)もいっぱい採れ、ふき味噌もいつものようにできました。
これから、こごみ、タラの芽、ウド、ぜんまい、わらび、ルバーブ等、ビン詰作業が始まります。
10日、11日と雨でしたので、雨が上がったらお父さんと2人で山菜採りの始まりです。5月29日の落ち葉はき頃までに前半は終わると思いますが、若し、山菜採りをしたい方が居られましたら一緒にどうぞ・・・。
お父さんは暇さえあれば薪割りとウオーキングを楽しんでいます。
私も付き合いながら野草の手入れなどをしています。プールウオーキングは二人で一緒です。何かした後は疲れ気味となって年齢の重さをひしひしと感じつつの毎日です。今シーズンの荷上げ予定は6月27日になりましたので、ご都合のつく方ご協力の程お願い申します。
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おとうさん、おかあさん、お元気そうなご様子ブログから拝察、嬉しく存じます。
大変な東日本大震災から2ヶ月あまりが過ぎましたね。船窪小屋にゆかりのある方々のご無事伺いひと安心致しました。
5月の連休は、感謝な事に、現地に身を運びお手伝いをさせて頂く機会を与えられました。
誰しも、この巨大な地震と津波のもたらした悲惨な現実の前に、何か自分に出来る事は無いかと模索したり、救援のための寄付をなさっていた事と思います。私も、避難していらした方々の中の介護を必要とするご老人や精神障害の方への介助の希望登録するなど、募金の他に動いたのは、毎日のお祈りの他はそれだけでした。それだけしか出来ませんでした。そんな中、通っている教会の礼拝中での実際の救援活動の募集に、いてもたってもいられずに応募致しました。自己満足のために行くモンでは無いとか、連休中に行くなんて、あんた達は物見遊山だとか、自分の年を考えたら?との声を、ご心配と共に直接投げかけられもしました。私も、こんな時期にいくら山登りで体力に自信が有っても、介護の資格持っていても、サバイバル講習受けた経験持っていたとしても、微力な自分なんかが同行していったい何が出来るのだろうか、と不安はいっぱいでした。実際今回の合同教会のメンバーの中では最年長でした。
しかし、そんなどころではありませんでした。ニュースなどで認識はしていたつもりでしたのに、現実に、目の前に拡がる予想をはるかに超える甚大な被害の様子には驚愕するばかりでした。でも、その現実を前にして、ショックを受けたり、立ちすくんで悲しんだり、嘆いてばかりいてはボランティアにならないので、心をふるって、身体を酷使して、頑張って動いて来たつもりです。
私たちはクリスチャン・リリーフ・アシスタント・サポート・ホープ通称クラッシュを通じて、石巻の先、渡波地区に派遣されましたが、瓦礫をやっとやっと山積みに道脇に、と言っても家々の軒先に積み上げ寄せただけの、もの凄い惨状がほとんど手付かずな場所でした。初日は日本人は私たち三人だけでした。東北beoneという外人部隊、これは世界中から参加してる宣教師達の集団に入れて貰っての奉仕でした。外国の人は行動力いっぱい、とてもパワフルでしたが、えっ?連休中は日本中からボランテイアがいっぱいって情報は嘘?行っても人が多過ぎてやる事無いかもって誰が言ったの?みんな助けに来てるってい一体何処にいるの?まだまだ人の力が必要な地域ばかりなのにと愕然でした。確実に困っていらっしゃる方々がいらして、助けを求めているのにこの状態は何?でした。ですから、私らオバサン力も必要とされていました。瓦礫撤去の手伝いはもちろん、それが済んだ後の家の中の泥掃除、ヘドロに埋まった食器類の洗浄やら食器棚を綺麗にする、これらはまだライフライン復旧していない、洗浄用の水を水道回復している家にお願いして確保してから、ポリタンクで運んで来なくては要望に答えられない作業でした。翌日は私たちの働きをみていらした他の家から、玄関だけでも入れる様にしてほしいと要望の有った家のまさに瓦礫とヘドロとの戦い、次の日は別の場所、小名浜の家の、ペンキ缶が一緒に流れて来ちゃって青い水玉だらけの家具やお風呂場の汚れ落とし等など、様々な要望に働いて参りました。一軒の家にも当然いろいろな希望があるのが、あたりまえですが、現況でした。五日間行っても大勢で三四軒の要望に応えるのがやっとですから、数限り無い被災者の家があるのですもの、これから尚、人手が必要になる訳です。合同教会でこの援助活動を続けて行くならずっと参加したい気持ちでいます。自己満足?物見遊山?そんな気持じゃ無いよ!やっぱり大変な現実を通されてる困ってる人がいっぱいですから、現地の教会を通して依頼の有無での不公平は有っても、自分の目の前にある一つ一つの事を片付けて行かねば復興の道に修正はできないと感じて参りました。
事前講習で、『死の蔭の谷を行く時にも災いを恐れない、神様が共にいて下さる』との聖書の言葉を、クラッシュの牧師から頂いてから赴きました。神様はボランテイアの『つえとなって励まして下さいました』。この震災をもって、『大地を揺るがせ打ち砕かれました』が、何故?この地球に、何故?この日本に、何故?東北に?お持たらしになったのかと、神様の真意は私たちには計りかねます。まだまだこの『大地は動揺していますので、どうぞ速やかに砕かれた所をいやして下さいます様に』と願ってやみません。『真理を前にして、その警告を受け入れる様に、あなたの愛する人々が助けだされます様に』、被害を免れた私たちの努めとして、続けて現地に派遣してもらえる様に願っているこの頃です。
長野でも地震が報じられています。おとさん、おかあさんもどうぞお気をつけて。そしてお身体お大切に。今年もお目にかかるのを楽しみにしております。