北アルプス ランプの山小屋 船窪小屋

小野健氏の栂海新道開通四十周年祝賀会

5月初め、フッチーさんから「栂海新道開通四十周年」の祝賀会に是非出席するようにとのお誘いを受けた。
満79歳という小野健氏は、50年前に「さわがに山岳会」を結成され、3千米から0米へという夢の縦走路を開通させた方である。

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今なおお正月山行を欠かすこと無く続け、初夏雪解けと共にボランティアの仲間たちと共に藪を刈っているという現役バリバリの岳人である。
朝日岳から日本海親不知まで、全長27Kmに及ぶ長大な栂海新道はすべてボランティアで小野健氏の指導のもとに開通したのである。

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登山道づくりは幾多の困難にぶつかりながらも、それを超え「夢」とロマンの山道を創り上げた小野さん。そのバイタリティは一体どこから来るのか…。フッチーさんの誘いに乗りお父さんと二人で参加させてもらうことに!

 

糸魚川「ひすい王国館祝賀会場」にはすでに大勢の人々が集まっていた。
「始めは50名も集まって貰えればと思いましたが、100名を超えてしまい、収集がつかないほどの人数になりそうで、最終的にはお断りしました。」と受付の美女軍団が言っておられる。
50年と一口に言うが、人の一生の中で活動できる年齢は20歳すぎから、それから50年がその人の一生であり、生き方そのものであると思う。
当人は70歳をとうに過ぎているのが普通である。小野氏は大学卒とともに工学博士号を取得されていたので、福島の実家とは程遠い「青海電気化学」に就職されたのである。
登山をライフワークとされておられ、職場裏山から続く山稜に登り、特に白鳥山に登り、海に沈む夕日を見てからはすっかりこの山稜の虜になってしまったという。
「この山稜に登山道を拓こう!3000米の山頂から歩き続けて、最終日は汗まみれになった身体を水で洗う。そして万歳三唱をしてから帰宅する!」
という夢はますます広大になり、彼の情熱は強くなるばかり。いとも明日な論理を廻りの仲間に唱え続け、遂に「さわがに山岳会」を結成したという。10年間は道の伐開に要したが、その間様々な障害にぶつかり、
挫けそうになったことも幾度かあったようだ。そして、自らを「藪刈り人」生き様を「藪刈り人生」と称して50年が過ぎた…。
この50年の記録は「栂海新道を拓く・夢の縦走路にかけた青春」と題して山渓載書5にくわしい。2010年12月発行。本書の中に「継続は成果なり」と言って居られるが、名文句であり、そのとおりだと思う。

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さて、小野氏の情熱に満ち溢れた50年の人生に深く深く感動しながら、我が船窪小屋の50余年を重ねてみた。
お父さんと二人、25歳の晩秋、新婚旅行に選んだ道は島々から大野川を経て、乗鞍鈴蘭小屋に泊まり、位ヶ原を経て乗鞍肩の小屋を通り平湯温泉に2,3泊して大町の借家に帰るというコースだった。
夫は大型キスリング、タッシュに輪カンをつけていた。私は中キスでタッシュに輪かんをつけているという出で立ちだった。
鈴蘭小屋を早打ち、位ヶ原を10時ころ通過した。位ヶ原の斜面では早大山岳部がテントを張り、雪上訓練をしていた。問題は肩に着いた頃、ガスで視界不良となり、気づいたら剣ヶ峰の山頂に登っていたことだった。
この時お父さんはアイゼンを一足ザックの中に入れていたようで、それを私に着用させ、氷の山と化した剣が峰を肩の山荘に向けて下山し始めたのだ。
もう夕日は西に沈み、夕方になっていた。「右足はココ、次左足はココ、次はココ…」と繰り返し、肩の小屋へ着いた時私はヘナヘナと中キスの上に座り込んだ。そして一路平湯温泉へ…。
旅館「船津屋」へ着いたのは夜中。あの時迎えて下さった女将さんの綺麗だった”ガウン”が忘れられない。

 

二人の人生は第一日目から剣が峰の尖峰を渡ったときのように、いつ滑落するかわからないような出発であった。
あの日から数えると今年11月27日で満50年、昔流に言えば、「金婚式」である。50年間波も風邪も嵐も吹き荒れ、いつ流されてしまうかもしれない毎日だったようにも思う。また、子供達の成長と共に喜楽を共にした日々でもあった。
小野健さんの祝宴に参加させてもらい、改めて自分たちの人生にこれから残せることを考えさせられた。「継続は成果なり」を念頭に山小屋も道普請も続けなければ成果は得られないのだ!
いつまでも止まらないヒスイ王国館会場の熱気の中にあって一昨年(2009年)船窪小屋へおいでくださった「かたくりクラブ」の皆さんの事を思った。当日は大雨で全身ずぶ濡れで登って来られたメンバー「我々の山行に雨はつきものよ」と笑って居られた面々。時折おいでくださったんだから、せめて船窪小屋前に広がる、立山〜槍燕の絶景を見て欲しかったなあ…。と残念でならなかった。
ところが、10日程した晴天の日、見覚えのある杖が入り口に立てかけてあり、汗を拭きながら老かいな山男が石段の上に座って居られた。「えっ、小野さん?先生じゃありませんか!どうなされました、早く中へ。ペンパさんビールビール、お父さん小野さんが見えられましたよーッ」と大喜び。
この時、私に向けられた何とも愛しい少年のような目。いたずらを見つけられたような恥らいとも思えるように輝いていた目が忘れられない。
余り疲れている様子はなかった。それにしても雨で写真が撮れなかったので、この晴天を逃しては!と登って来られたとか。
小野氏の体力、気力、好奇心すべてが並外れている。
貴殿のすべてを学ぶとこはできないと思うけれど私たちは貴殿の後を歩いて行きます。夢とロマンを見失わないように。

 

平成二十三年六月十五日 小屋開け準備中の日に。

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