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火の国の心抱きてアルプスに |
ヒマラヤに挑む 傘寿の師 |
明日もまた あの里山へ登りますと |
背すじ 伸ばし立つ 傘寿の師 |
50年の 小屋守り 祝い集いくる |
笑顔懐かし 老い初みし岳人( |
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11月15日
かねてより楽しみにしていた古原先生の傘寿のお祝いが行われました。奥様は松本山岳会の山行に参加する為おいでいたゞけなく、とても残念でした。
元大町山の会会長の松原氏と榛葉さん他の現役会員により進行されました。
古原先生は80歳、今なお夏山、冬山を問わずヒマラヤまでも元気に登って居られるお姿に皆感動し、生きる勇気をもらいました。
45年程前、九州から北アルプスへ登るため、一家で引越され、高所医学の父として学界に貢献されながら、自分らしく山登り一筋に生きてこられたお姿に、
私共はいつも敬意の念を抱いておりました。
私もお父さんも、古原先生ご夫妻の生き方を目指して、これからも元気に山へ登り、山小屋を守って行きたいと、心新たに誓いました。
そして、思いがけず、幹事役の松原氏の配慮により、船窪小屋50周年のお祝いもやって戴いたのです。
想えば大町山の会は2人にとって、青春の原点でした。
毎週木曜日の夜、大町公園にある山博のミーティングルームで、山の会定例会があり、春夏秋冬を問わず、あの坂道を通いつめました。
九州から引越して来られ、大町保健所長となられた若い古原ご夫妻に刺激され、アカデミックな山登りの洗礼を受け、春山、夏山、秋山は言うに及ばず
冬山でのトレーニングに始まり、高瀬渓谷より入山する唐沢岳幕岩に新ルートを開けるなど、地方山岳会としては優秀で、輝かしい記録を次々に残した
大町山の会は、実に楽しく、ユニークな山岳会でした。
夏山の始めにはボッカ訓練と称して、船窪小屋の荷揚げを一手に引き受けてくれた時期もありました。自分達のグループが訓練としてやってくれる荷上げに対し私共は別に引け目も感じず、当たり前の行事のように協力してもらっていました。今思えばすごいことをやってもらっていたのだと思います。
あの懐かしい光景は私の頭の中にこびりつき、生涯消えることのない影像としてしっかり焼きついています。
七倉尾根を、布団や米、味噌、灯油を背負って、ヒョイヒョイ登ってくる若者の姿、鼻つき八丁が何処にあったのか、思い当たらないほどのスピードで登り、日帰りしてバスに乗って帰ったのです。私も夫も一緒に登り下りしたのですが、あの頃のスピード溢れるバイタリティーはどこへ行ってしまったのか、今はすべてをヘリコプターにおまかせの状態です。
大町山の会の会員諸兄姉と共に過ごした青春の日々、今日古原先生80歳の傘寿の祝賀と共に船窪小屋50周年もお祝いしていたゞき、仲間達の温情に感激の涙を流したのでした。(松澤寿子)
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皆さんお変わりなくお過ごしでしょうか?小屋から下って1ヶ月余りがまたゝく間に過ぎてしまいました。山の上のお母さんでいる時の方が余裕があったのですが・・・・
とにかく下界の忙しさに加え、意思の軟弱な私はつい、テレビのスイッチを入れてしまい、気が付けば夜が更けて・・という状態です。 |
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