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ふなくぼだより2004 4月号

4月7日 
うららかな陽ざしと共に、北アルプスの山麓にも春が訪れて参りました。量が減りカチカチになった雪原を歩いていると、木々の周りが丸く溶け秋に積もった茶色の葉や枯れ木が見えるようになりました。ツボ足で歩いても、ズボッとつもることもなく、松ぼっくりや落葉松の実が雪の上に落ちているのを拾い集めています。(いっぱい拾ってツリーにします。)道端や小川の土手には、春を待ちかねたチャンメロがいっぱい並んで顔を出しています。

ベルグハウスも居候さんが全員帰り、気が抜けたように静かになりました。この時季は一年中で最も淋しさを感じる時です。昨年12月20日前後から集ってきた若者たち。今シーズンは8名でした。20歳〜29歳迄、素敵な笑顔のアイちゃん、ゆかりちゃんは女の子、他の男性も皆気立てのいいフリーター達でした。その他弘前から50歳の伊藤さん、厨房へはベテランシェフの生沼氏を迎えてのスタートでした。朝から晩まで「お母さん今日の従食は何?」と食欲旺盛な彼等に慕われ、その言葉を張り合いに毎日つくり続けていたまかない食も今日からはいらなくなりました。急に楽になってしまったので睡魔におそわれそうです。不況下で希望する定職がなく、フリーターとして働いている彼等にとって、ベルグハウスでの100日間はどんなだったのか。同じ釜の飯を食べ、毎日思いきりスノーボードをやって過ごした日々。年末年始の忙しかった時朝6:30〜眠くて起きれなかった日、大雪の朝、宿舎の玄関の戸が開かない程雪が多く、雪の中を泳いで出勤した日、、、いろんなことがいっぱいあったね。よく今日までがんばったね。真っ黒い顔になって、ゴーグルのあとで目鏡ざるになってしまった顔。お家の人はびっくりするだろうね。
お母さんのお土産は、チャンメロと野沢菜漬、それに船窪小屋50周年のバンダナでした。

雪が積もっていた駐車場のあちこちに穴が空いています。
明日からは昼食だけの営業でしたB1レストランを片付けて、残った野菜や材料を整理します。掃除に2日以上はかゝることでしょう。
雪解けと共にあちこち茶色い枯れ草や黒い土が出てきて、侘しい景色になってしまいますが、春の訪れは木々の芽吹くときであり、小鳥達の恋の季節でもあります。 朝は、にぎやかな小鳥たちのさえずりに目覚めさせられます。 ホームページ、長い間ご無沙汰してしまいました。

3月21日
山小屋でチャランゴを弾いてくれ、食事を作ってくれた美代ちゃんが結婚しました。Kさんと仲良く幸せになってくれることでしょう!
美代ちゃんの後、船窪小屋で小屋番をやってくれることになっていたキリちゃんが、都合で実家のある愛知県へ帰ることになりました。(穂高町に住んでいましたが)ので、夏の小屋番が出来なくなってしまいました。

【小屋番募集!】
そんな理由で、今シーズン、船窪小屋に入ってくれる女性を募集しています。7月中旬〜10月中旬まで、料理が好きで、気立ての良い、元気な女性(25歳以上50歳まで)という条件つきで募集しますので、ご協力の程よろしくお願いいたします。詳細はご連絡いただけばご説明いたします。→連絡先はこちら

4月10日快晴
今日はお父さんと一緒に遠見尾根へ行ってきました。
7:30栂池ベルグ発、快晴の白馬連峰はさわやかな陽春を受け輝いています。五竜遠見スキー場と呼ばれて久しいのに、私は40年振りです。
ゴンドラリフト乗場には、すでに列ができています。スノーボードの若者がほとんどですが、スキーヤーも居ます。
その中に山用のリュックを背負った人も居ます。往復1500円という切符を買って、8人乗りゴンドラに乗り込みました。
相当急な斜面をガタガタ揺られて登ります。足下はきれいに整備され、スキーヤーボーダーを待っています。処々パクッと大きな穴を空けている斜面があり、パトロール隊が印棒を差し込んでいます。10分程で終点着。そのまま歩いて"地蔵の頭"へ着きました。下川さんの遠見小屋はすでになく、法政小屋は立派に建て替えられ大分下のほうに見えています。きっとゲレンデ整備に伴い、移動されたのでしょうが、昔年を感じることしきりです。
斜面が硬いのではないかと、アイゼンを持ってきたのですが、使う必要もなさそうです。ツボ足でそのまま昨日歩いたであろうふみ跡をたどって歩いていきます。冬の間の運動不足がたゝり、息使いが荒くなります。「こんなきつい登りだったかねえ」など、ぶつぶつ云いながら、お父さんの後をついていきます。
小遠見着10時30分。すでに2パーティーが到着しています。グリーンの一人テントも張ってあり男性がしきりにシャッターを押していました。昨夜は風が強くて眠れなかったと言って居られました。
360度の展望、この快晴の一日を、これからゆっくり堪能させてもらいます。お父さんは早速鹿島槍に向けてシャッターを切っています。足場はしっかりしており、稜線の雪は、昨夜積もったであろう新雪に被われて、真白くきれいです。春の山は紫外線が強く、雪の反射と太陽の直射により、肌がやられます。私はその対策として、あるものすべて顔に塗り、ろう面のような顔になりました。それを見ていたお父さん、「おれにも何か塗るものくれや」といっていますが、それこそ「そのひげ面に塗るだ?」というと「どうしてや、いいだ」「そうだ手ぬぐいでも被っていきや、どうかね」ということになり、新しい手ぬぐいを帽子のしたに被ることにしました。私は草笥の底に入っていたシホンの広いスカーフを被ることにしました。
紫外線対策はこれで万全だったかな?薄いスカーフを透かして見える春の山稜は「早く登って来いよ」と呼んでいます。おにぎりを一つ食べると体力回復。どこまでも歩いていけそうな気分です。この調子なら西遠見迄ついていけそうです。文句言わずにがんばるぞー!
中遠見までは稜線の山は見えず、ひたすら斜面を登ったり下ったりの繰り返しです。ズボンと足が雪の中へ引っ張られ、抜けなくなりました。
「かんじき履くかねぇ」「いらネェ」ということですので歩き続けます。
お父さんは雪屁と稜線のギリギリのところを見極めながら進みます。「休むぞーッ」という声にふと見上げると、雪のカクネ里を挟んで鹿島槍が高々とそびえ、キレットの稜線でつないだ五竜岳は、武田菱を黒々と輝かせて目の前に聳えたっています。
その右にすんなりと、白い雪をびっしりつけた八方尾根が続いています。容赦なく降りそゝぐ太陽の光線は、谷間より吹き上げるそよ風と共に、汗ばんだ身体を癒してくれます。
帽子の上からすっぽりと被った水色のスカーフは風に揺れて、私の心はルンルン気分ですが、他人から見たらなんとも異様な姿なんだと思います。「変な格好かネェ」とお父さんに聞くと「オー」といって笑ってるだけ、なんとも頼りない限りです。
ゆっくり登っていると「その山が西遠見だ、あと15分」との声。ゴンドラに乗って歩き出してから4時間、12時30分に西遠見に到着しました。五竜岳は至近の距離です。
40年以上前、登った頃を思い出し、懐かしさに胸が熱くなりました。
我が故郷の山鹿島槍も目前にあり、冬季天狗尾根を仲間と共に登ったのは45年前「カクネの里にあおぐ月、鹿島の里で見る月も同じ想いの胸の中、どうせ2人はこの世では同じもてない山男」とテントの中で歌った頃が思い出され、つい口ずさんでいました。介護の展望を堪能して下山の途につきました。
お父さんは昨年来、膝通に苦しめられ、七倉尾根を下るのに大変でした。昨年秋から始めた筋肉トレーニングとリハビリで少しづつ快方に向かっているのですが、下山となると痛みが出てくるようです。ペースはゆっくり、時々「イテーッ」と叫びながらの下山です。休みながら地蔵の頭に着いたのは3時30分、往復7時間の遠見尾根山行は無事終了しました。
私は4月14日右目白内障手術の為、2日間入院します。日に焼けた顔がチョッピリ気掛かりですが。では又。




記念写真
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