北アルプス ランプの山小屋 船窪小屋

来たー!!

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2日に予定されていた荷上げが延びに伸びて
5日の今日!やっとヘリが到着。
海外から1年に一度こられる佐藤さん、他皆様、無事につきましたよ〜。下のヘリポートからこちらの船窪小屋までは5分くらいで来ちゃうのだそう。山の上はさっきまで晴れていたのに!5分もしないうちに曇いっぺんに広まる。そうするとヘリがなかなか飛べないそうで、本当に待ちました。明日はテレビの撮影だし、野菜がないよ〜という状況でしたので本当に助かりました!そして岡山の福島さん3人様がもう一泊してくださって、荷の片付けを手伝っていただき、本当にさーっと片づきました!ありがとうございました〜!ペンバさんは忙しかったので、今日はわたくし1人でみず場へ水くみ、山菜とりに行ってきました〜。鼻歌を歌いながら、がさっとでてきたでかいカエルにびびってビートたけしみたいに独り言言ったり、楽しみながら行ってきました。 おかあさんもおとうさんも、荷が届いて一安心。
明日はいよいよ
タレントさんがきて撮影。晴れるといいな〜!Byときのつぶやき


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“来たー!!”に対するコメントが4あります。

  1. トモ さんのコメント:

    明日は、撮影頑張ってよ。下から応援しています。忘れてた、ゴボウも歩荷してもらえるので、おいしいゴボウの煮もの?作ってください。
    本当に今日飛べてよかった!

  2. ZuoTeng さんのコメント:

    お盆帰国に合わせ1年1度だけの山登り。と、いうよりは3食お世話して戴ける山小屋巡りかも(今年はとびきり孤食死を免れました(⌒▽⌒) 
    お父さんお母さん素朴なペンパさん美人のお姉さん(地元女子ワンゲルの小屋ノート)、”幸福時光”本当にありがとうございました。

    3日午後前泊の大町で、駅前シャッター通りから東山の山岳博物館目指してトコトコ登っていくと、手前子供集会所の傍に、1960年帰国した戦時強制徴用の朝鮮の人たちの記念碑がありました:「さようなら、…安曇野の美しい桜が永遠に咲くよう!」
    その日旅館で見た日経新聞、作家の五木寛之さん「山河破れて国あり—私達日本人は、これから放射能と共存して行かねばならない……」「敗戦の夏、中学一年生で平壌にいた。……私たち家族は、何の疑いもなく現地にとどまっていた。1カ月で母を亡くした。」
    そう言えば作曲家の中西礼さん一家も旧中国東北の引揚者でした。

    長くなってすみません、登山の方はお母さんの「ゆっくりしてらっしゃい」の一言で小雨煙る4日は停滞。5日御来光の早朝から来たー‼のブンブントンボのヘリを見上げながら、北アルプスど真ん中最低標高の緑樹滴る船窪稜線を楽しみました、一気に緑のダム湖水面まで落ちるガレは凄いですね。
    翌日は竹村新道は諦め、数十年前来た時より何か乾いた感じのブナ坂を下山〜ここまでは最新トレラン靴で羚羊の如くひらひらと。高瀬ダム、七倉を越え、大町ダム下エネ博まで歩き通しました、最後は大腿脹ら脛ともスト上下せず。(高瀬ダムから4時間強、市民バス最終は土曜日は14:50、以外は16:30、200円)  駅まで稲穂美しい田園をぐるぐる40分、でも地元のおばあさんのおしゃべり、この夏天気が変だ、さらにここ農家の若いお母さんのとても悲しい話も。

    美人のお姉さん、五木さんの記事役立ちましたか?おかあさん、私の中国の家族、”ようこそ船窪小屋へ! ” 歓迎してくれますか?!  
    船窪稜線で話し相手になっていただき、たまたま大町駅前でギリ発新宿行き経済バスまで教えていただいたテント派山ガールの方も楽しい山ありがとう。

  3. おさんぽ さんのコメント:

    シーズンはじめに小屋番されていたトモさん。栂池ベルグハウスでがんばってますか、ゴボウ歩荷の任務は無事完了しました。
    今度はゴボウの煮物食べさせてくださいませ。

  4. ZuoTeng さんのコメント:

    このメイルアドレス非表示にしてくださいm(_ _)m

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