【訃報】松澤宗洋 逝去のお知らせ
父、松沢宗洋(ムネヒロ)が病気療養中の処、令和3年8月25日に他界いたしました。
6月に脳梗塞を発症しドクターヘリで救急搬送されてからというもの
面会もままならない大病院から1日も早く自宅へ帰ることを目指し、リハビリ目的で転院して始めようとしていた矢先、誤嚥性肺炎をわずらい、徐々に衰弱が進みました。
このまま遠くの病院で一人で息を引き取るようなことだけは悲しすぎると思い
看護師の妻が以前勤めていた医療施設の医師にご協力いただき、行政の皆様のお力を借り、病棟の皆様の全面協力を得て23日に覚悟の退院をさせていただくことができました。
病室へ迎えにいったときは大きく肩で息をして目も開けられない父でしたが
搬送用救急車両に優子が付き添い「お父さん、おうちへ帰ろうね。お母さん待ってるよ」と声をかけ続け
「白馬まできたよ」「ほら、五竜が見えたよ」と声をかけるとパチーンと目をあけ
妻の手をギュッと握ったそうです。
住み慣れた我が家に到着した日は、もう血圧も図れない状態にもかかわらず
問いかけに目をあけ、しっかりうなずき、医師も大変驚いておられました。
苦しい状態だったと思いますが、2日間を自宅で過ごし、兄弟、親戚、子供、孫、ひ孫らと会うことができました。
2泊目の夕時には眼鏡をかけてやり、以前取材いただいた船窪小屋のドキュメンタリー番組を流すと
目を見開いてじっと見ていました。
その夜。
最期は母に手を握られ、家族全員に見守られながら
静かに旅立つことができました。
ここに生前のご厚誼を深謝し、
謹んでお知らせ申し上げます。
山を愛し、
時代と共にいくつもの事業を手掛け、皆様からの沢山の手助けを頂きながら
母と常に二人三脚で歩み続けた人生でした。
父は最後の最後まで、背中で語る男でした。
正義感が強く、まっすぐ、真心を持って生き抜いた父でした。
多くの皆様と出逢い、
父の人生は本当に幸せだったと思います。
松澤宗洋を愛してくださった皆様、
本当にありがとうございました。
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なお、通夜・葬儀は親族のみで執り行いました。
コロナ禍の折、弔問会とさせていただき、故人を偲ぶ写真などを展示させていただきます。
【記】
1.日時 9月2日(木) 12時~14時
2.場所 JAホールおおまち
ホテル白馬ベルグハウス・北アルプス船窪小屋
代表 松澤宗志
ーーーー【母 寿子からのメッセージ】ーーーー
暑さ残るこの頃、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
私たち6月2日に2回目のワクチン接種を終えて夕食を済ませ普段通りに眠ったのですが夜中に体調を崩し長野日赤病院へ搬送されました。
以来回復することなく、帰らぬ人となりました。
私と子供たちの懸命な願いと、夫のために全力で尽くしてくださった医療チームの皆様のご努力で家に帰ることができ、2日間、親族・兄弟・子供・孫・ひ孫たちに迎えられたときはうれしそうな表情で
目で話しかけてくれました。
白馬の山々がこの人を助けてくれた!と
家中に歓喜が走りました。
細身ながら人一倍体力があり、芯の強い人でした。
60年間連れ添わせていただき、
私はとても幸せでした。
特に船窪小屋で過ごした懐かしい日々が、宗洋にも私にも、大きな命の糧を与えてくれたと思います。
大勢の皆様に支えられ、教えられ、親しくして頂けましたことは、二人の人生を広く大きく育ててくれました。
ほんとうにありがとうございました。
9月2日には皆様にお目もじできますよう、
お待ち申し上げます。
松澤寿子
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