北アルプス ランプの山小屋 船窪小屋

小屋閉めの後

10月12日 小屋閉めの後

昨夜烏帽子から来られたお客様は1名、小屋閉めボランティアさん12名とともに最後の晩餐と朝食をとられ、「こんなにもてなして頂きすっかり感激しています。又来シーズンもこさせて下さい。」
といって扇沢に向けて6:00頃旅立ちました。

すべての食器は磨きぬかれてそれぞれの場所へしまわれ、昨夜使った布団もブルーシートに包まれ、トイレと厨房の窓が閉ざされました。
個人のリュックもすべて外へ。鉄瓶の水も捨てられ、いよいよ小屋とお別れの時が来ました。いっぱい残ってしまった卵はゆで卵にして持ち帰ります。
その他の食材も捨てがたく、下山時のリュックはいつもより重くなりました。

いよいよ船窪小屋と来シーズンまでお別れです。七倉岳の斜面、北葛西側、船窪、不動、すべて谷は葉を落とし、谷に向かって裾だけは紅葉真っ盛り、速水夫妻を先頭に感慨に浸っているメンバーは
「来年までサヨナラ!!」と小屋に一礼して下山を始めました。

今シーズンはいろいろな出来事がありました。
8月26日、2年ぶりに登ってこられた岡山の横山礼子さん、
「どうしても連れて来たかった友人夫妻と省ちゃんを連れてきましたヨーッ」といつものように元気いっぱい!
4人の中で一番早く到着し、私とお父さんに握手を求めて来られました。彼女は船窪小屋の為にご自身で造られた切り絵ハガキ(8枚セット)を500部寄贈して下さり、「この売上金は針ノ木谷古道の為の道普請に使ってください」とおっしゃったのです。
その礼子さんが9月13日、自分の誕生を「山で迎える」といって水晶岳へ行き、その帰路、バスから降りてそこで倒れてしまい、そのまま10日間意識が戻らぬまま帰らぬ人となってしまわれたのです。
60歳の誕生日を迎え、これから好きなように山登りができる。と思って居られた矢先の出来事でした。
とっても感性が豊かな人でした。面倒見のいい人でした。心のきれいな人でした・・・。
山仲間から「姐さん」と慕われる気っぷの良い人でした。その人が私達の祈りもむなしく天国へ行ってしまったのです。何も言わず、何も語らず、余りにも突然にあっさりと戻らぬ人となってしまいました。
本当に寂しく、悲しい出来事でした。
来シーズン天気の良い一日を「横山礼子さんを忍ぶ会」として設けさせてもらいます。五月頃には船窪ホームページへ日程などアップ致しますので御覧ください。

好天に恵まれた8月、毎日欠かすこと無くお客様のご来訪を受け船窪小屋始まって以来のお客様をお受けすることができました。
9月はグーっと客足が減り、私は下界からの知らせを受け、健康診断と祖父母参観の為、2度、計10日間の下山をいただくことができました。
連続2回のお休みも小屋番をきっちりやってくださったペンパさんとひかるさんが居てくれたからこそ!できたのです。2人とも本当にありがとう!

ペンパさんは10月10日下山、帰国しました。おさんぽ隊長さんが担ぎ上げて下さり、ひかるさんが飾り付けをしてくれたかわいいケーキ、10月9日夜のお茶会は「ペンパさんを送る会」となりました。
10日早朝下山し、松本で横内、斉藤グループによる晩餐会に招かれ、ひと夏の疲れを癒され、11日は三渡氏宅で又も夕食に招待され、日本で最後の晩餐を楽しんでいただくことになっております。
船窪小屋では松下さんのアコ演奏とまり先生のフルートをしっかり楽しんでもらい、ぺんぱさんにもネパールの恋歌を歌ってもらい、来シーズンの再会を誓ってのお別れ会となりました。いつの間に用意したのか、今年もまたお父さんと私の肩に「カター」をかけてくれ、手をあわせて「ありがとう」となんどもお礼を言って下さったのです。

北アルプスの稜線で過ごした85日間、彼はきっと来年も再会に来てくれるでしょう。誠実で真面目で、ユーモアにあふれるペンパさん、今シーズンもありがとう!
10日の早朝はいい日でした、秋色に映える七倉尾根、彼は振り返り手を振り、紅葉の中へ消えていきました。

11日早朝ころから帰る人、仕事に勤しむ人。入れ替わりつつ、楽しみながらの小屋閉めとなりました。茶臼小屋の高橋オーナーは9日に背負子に山ほどの「カツオ」を担いで登ってこられました。
9日(土)は背負子の荷をすぐに頂戴して、”カツオのタタキ”を作りました。この時消費したのは5本でした。
特大切り身としてお出ししましたが、それはほんの一部、未だ発泡スチロールには20本ほどの立ち身がぎっしりと詰まっています。
10日11日と3日間フル活動して漸く全部使いきれせてもらいました。”高橋さん、、毎年毎年美味しい刺身をありがとう!ございます。今年もよろしくお願いしますね!”

順調に進む小屋閉め作業。今年も鍋磨き天才の新造氏の来訪を期待していたのですが、彼は現れず、女性軍をがっかりさせてしまいました。新造さん、来年は是非お願い致します・・・。

そして、10月12日、下山開始から3時間、ゆっくり快調に下っていた足元が、何の予告もなしに乱れ、アッという間に右ストックが空間を突きズズーッと倒れ、ウーッと背中に痛みが走りました。下方を歩いて居られたまり先生が引き返して「お母さんがーッ」と後続の加賀美さん他お父さんに知らせてくれました。
なんとも年齢の重さと残ったゆで卵を背負ってきた重さとを感じさせられた一瞬でした。なんとか起き上がり、荷物を持ってもらって歩ける足を確認しながらゆっくり下山しました。
七倉駐車場着、12時45分。トラブルで手間をとった時間を入れて、4時間50分を要しました。

七倉山荘にて入浴をすませ、俵屋にて大餃子とスキヤキの昼食を頂き、大町病院にてレントゲンを撮ってもらいました。
結果は骨に異常はないので捻挫と打撲ということでした。兎に角痛みが激しいので、何とかして欲しい!と思ったのですが・・・。入院にはならず、貼り薬の処方せんをもらって帰ることに・・・。
シーズン中大した事故も、けが人も無く、無事に終わったと思っていたのですが・・・。このケガは私に改めて大きな教訓を与えてくれたのでした。

「10日から2週間は何もせず静養して下さいね」とお医者様のアドバイスでしたが、少し動けるようになると、身の回りすべての雑事が気にかかり、じーっとしては居れません。動くと夜が長く寝返りの度に「痛ーイッ」と言ってお父さんを起こしてしまうのです。「どうしただ、そんなに痛きゃ医者へ行けよ!」と・・・。
そんな毎日が続いて、10月24日「下ノ廊下登山教室」の日がやって来ました。

この日までに何とかしなければ・・・と思いつつ。夜も一人で起き上がれるようになりました。
それでも座薬は欠かすことができません。1日2回の座薬の間隔は6時間以上、その間は痛みも余り感じず過ごせます。

「下ノ廊下」は今回で最後(船窪小屋主催として)となります。想えばお父さんと2人秋の黒部谷の素晴らしさを皆様に分かち合いたい!と始めてから今年で20回ほどとなります。
その間事故もなく過ごして来れました事、ほんとうに幸運だったと思って居ります。参加してくださったのは18名。船窪小屋をいとどは訪れて下さった方ばかりです。
隊長に北ア常駐隊の下村基氏を迎え、2班に分けての出発です。
1班リーダーじゅんちゃさん、2班リーダー河西さん。助手ひかるさんのメンバーです。
お父さんは扇沢→栂池、25日栂池から宇奈月へ迎えに出ます。私は親不知で隊員をお迎えすることに・・・。
24日夕方からは雨、25日は終日雨でしたが、ひかるさんによると「最高に楽しかった2日間でした」とのこと。
たら汁定食の朝食を全員で食べ、今シーズン最後の行事を無事終了することができました。


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“小屋閉めの後”に対するコメントが1つあります。

  1. 黒澤 毅 さんのコメント:

    今年初めてお世話成りました黒澤です色々有難う御座いました来年も梅雨明けしだい登りますお母さん橋本さんに聞いたのですがお身体大丈夫ですか?心配しています我々酒処こまくさで色々な話で心配していますお身体大事にしてください。来年も宜しくお願いします。お元気で敬具。

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