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(じゅんちゃさんの原稿を塩ちゃん代理投稿)
昭和39年8月6日の東京中日新聞に河合様が書かれた記事を読むと大見出しは「雪渓、山稜、高山植物」三拍子そろった秘境」・・・だが道は険しく危険。
当時は船窪小屋の営業期間は7月1日から8月末日。記事を抜粋すると「イワタケの味噌汁・ご自慢の山菜料理アザミの天ぷら(なんだろう)と目をパチクリ。口づけしていくうちに、その舌をうつ新鮮さに(スゲエ!)と思わず驚嘆を上げる」
北アルプス一若い山小屋経営者松澤宗洋(28歳)の人柄が滲みでている。手作りの料理、ビニール布の窓、自家製のローソクランプ、清潔な寝床、白樺の表紙の宿帳など。
看板 船窪小屋から七倉尾根の難路を下ると線路跡(材木を搬出)へ出た
渡渉 梅雨末期の濁流渦巻く針の木谷を下る。水も飲めず苦しかった。
宿帳 白樺の宿帳
(じゅんちゃさんの原稿を塩ちゃん代理投稿)
岳人7月号を読んでいたら昭和29年に建設された今は無い船窪小屋(現在のテント場付近)他の写真が掲載されていた。撮影した方は愛知県在住の河合様。住所が分からないので岳人編集部にメールし河合様に転送していただいた。早速、河合様から電話があり写真のネガを始め幾つかの資料を進呈いただけることになった。河合様は当時中日新聞の駆け出し記者で昭和39年は東京オリンピックが開催された年で当時のことを鮮明に覚えているとの内容が書かれていた。それにしても50年前のネガを始め多くの資料を提供いただけるということは、さすが記者魂の表れと感心した。提供していただいた貴重なネガをどこでプリントしていただくか思案中である。
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